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『 衣 替 え 』
青く気持ちのいい香りの湯気が陽介の鼻をくすぐる。
「新しいお茶っ葉?」
湯のみを持ち上げて陽介は聞いた。膝立ちして自分の湯のみにお茶を注いでいた桐が音もなく陽介の向かいに正座し、こくりと頷く。
「いい香りだね。これ、俺好きだな」
「だと思いました。陽介の為に取り寄せたんですよ」
陽介の言葉に桐が微笑みながら答える。その笑顔があまりに無防備だったので、陽介はなんとなく照れて、うっかりまだ熱い茶を喉に流し込んでしまい、変な声を出してしまった。
桐が心配そうな顔で覗き込み
「熱かったですか?」
「だ、大丈夫」
子供みたいな事をしてしまった自分が恥ずかしくて陽介の頬は赤くなってしまう。
八畳程の坂上家の居間に陽介と桐はいた。
時計のない部屋の中をとても静かな時間が流れていく。
湯のみから立ちのぼる湯気の向こうに見える桐はいつもと違う雰囲気に見えた。
「?」
桐と目が合い、陽介は慌てて言葉を紡ぐ。
「なんか、桐、今日いつもと違う?」
「そうですか?」
しまった。思っていた事をストレートに聞きすぎた。
そう思い、うつむいた陽介に桐が言う。
「ああ、服……ですか?」
「服?」
陽介が顔を上げると、桐は着ているシャツの袖を引っ張って見せた。
「あ、そう言えばそのシャツ見た事ないやつだね」
「秋物です」
桐の口元が緩む。シャツ全体にプリントされた茜色のチェックは桐にとても似合っていた。
壁に飾ってあるカレンダーを見てみる。
十月一日。
「そっか」
その時、奥の部屋から幸と満留のはしゃいだ声が聞こえて来た。
「なんかあっちの部屋が騒がしいんですけど。何してるんでしょう?」
湯気で曇ったメガネを指で押し上げながら桐が言った。
「……よく知らないけど……たぶん近寄らない方がいいと思う……」
普段、犬猿の仲の幸と満留があんな風に楽しそうにしている時はそっとしておくのが一番だと陽介は知っていた。
だから奥の部屋で何をしているのかは知らないが、そう答えたのだ。
「じゃぁ……」
桐が何かを提案しかけたと同時に勢いよく居間の襖が開いた。
「陽介!」
頬を赤く染めた幸が陽介に向かってダイブしてくる。幸の肩にぶつかってテーブルの上の急須が危なっかしく揺れた。
「いっやぁ?、衣替えって楽しいのなぁ。俺、ちっとも知らなかったよ!!」
「はぁ? 何言ってんの!?」
体にぐいぐい張り付いて来る幸を手でつっぱねながら陽介が怒る。
「ちょっと! 離れろって!」
「えへへ?」
幸の口から甘い音が出た。よっぽど楽しい事があったのだろう。こういう時の幸はやや暴走気味で落ち着かせるのが難しい。公園で遊んで興奮しきった大型犬を細い糸一本で無理矢理家に連れて帰るようなもんだ。
「おお! さらに発見!」
幸が目を輝かせ、陽介に押し付けていた体を起こす。
その拍子にもう一度、幸の体が当たり、テーブルの位置が大きくずれた。さっきよりも大きな揺れに絶えきれなくなった急須が倒れ、中に残っていたお茶が流れ出す。
「あ?あ、もうっ!」
こぼれたお茶を見て陽介の口からため息が漏れる。
そんなことはおかまいなしに幸が陽介の体のあちこちに触れていく。陽介もなんとか抵抗するが、一回りもサイズの違う幸に力でかなうはずがない。
結局いいように扱われどうにもできないまま、幸の身体検査は終わった。
「うんうん、うんうん。やっぱりそうだよなぁ。あれからまた大きくなってるんだな?。えらいぞ、陽介」
幸がうっとりとした表情になる。
なんだか上から目線の幸の言い方にカチンときて、陽介が幸を睨んだ。
幸がうっとなって口を開く。
「だって、衣替えしたから……」
「だ?か?ら?っ、衣替えしたからって何なんだよ! そんなの毎年満留がしてるだろっ?」
テーブルの上にこぼれたお茶を拭き終わった桐が陽介に続いて問う。
「衣替えで何か特別な事でもあったんですか?」
「何かって! お前、そりゃもうっ、めくるめく…………うっ!」
幸の喉元に何かが突きつけられた。
「幸……あんたってほんとおバカな妖怪ね」
幸の後ろから現れたのは満留だった。手に持った白い何かで幸の喉元を軽く押す。
「あたしとの契約、もう忘れたの?」
「……っ」
幸は声を出せないで固まっていた。
「け……契約?」
なんとか声を絞り出した陽介だったが、幸と満留の間に流れる異様な緊迫感にその音は微かに震えていた。
「悪魔との契約みたいなものでしょうか?」
そう言った桐に満留がにっこりと微笑んだ。
「いいえ。姉との契約、よ」
唾を飲み込んだ幸の喉が鳴った。
満留はピクッと鼻を動かすと、幸の喉元に突きつけていたものをそっと床に置いた。
瞬間、幸の体から一気に緊張が解ける。
「そうだった……俺ってば、危うく幸せを逃すところだった」
「ほんとよ。まったく、座敷童のくせに。しっかりしなさい」
床に崩れ落ちた幸が、力強く頷く。満留がその傍に座った。桐が絶妙なタイミングで満留の前に湯のみを置く。
さっきの緊迫感が嘘のような光景だ。
陽介は恐る恐る満留が床に置いた白い何かに近づいてみた。
それは古い上靴だった。
つま先の部分書かれた文字は随分滲んでいたが、かろうじて読める。
??『6の1 坂上陽介』
確かにそう書いてあった。
床に置かれた自分の上靴の前で、陽介は小さく声を出した。
「……うちの衣替えって……?」
【終わり】
坂上家の衣替えで、どんなことが繰り広げられていたかは、ボイスドラマ『10月1日』で聴けるよv
(アクセスの仕方は「ボイスドラマ」のページを見てね!)
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