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「その瞳にうつるもの」 / 「屋上夜話」
/ 「渋谷まいごっこ」

『妖玄坂不動さん』 第一話 「その瞳にうつるもの」
 そろそろ夏が始まる。
 街を覆っていたしっとりと絡みつくような重たい空気はどこか別世界へ流れていき、抜けるような青い空が近づいてくる。
 陽介は、街頭でもらった広告だらけの紙で作られたウチワをあおぎながら、スクランブル交差点を足早に渡っていた。
「暑……」
 柔らかそうな髪の毛が太陽の光にすけて弾む。人差し指で制服のシャツをつまむと、やや華奢なつくりの鎖骨が汗ばんでいるのが見え隠れした。
 スルスルとまるで水のように人混みをすり抜けて歩く。
 癖なのか、普通よりゆっくりと瞬きをするそのガラス玉のような茶色い瞳の奥は、吸い込まれそうに深い色をしていた。どこか掴みどころのない――そんな雰囲気が彼にはあった。
 交差点を渡り終えた陽介は、一瞬立ち止まり、小さくため息をもらした。

 ここは渋谷・道玄坂。
 様々なエネルギーが流れ込み、収束し、渦巻く街。

 変化を恐れないその街の中心に陽介の目指す場所はあった。
 道玄坂と呼ばれる通りの一番下にある古い雑居ビル。
 『坂上不動産』と書かれたドアを開くと、生温い空気が陽介の熱を帯びた頬をなでた。
 陽介はげんなりと肩を落とし、一歩中へ入るとすぐ側にあったソファーへ鞄を乱暴に投げ、部屋の中を見渡して声を張った。
「幸っ!!」
 今にも崩れんばかりの資料が積み重なった机につっぷして寝ている影が、その声に反応してピクリと体を動かす。
「幸ってば!」
 寝ぼけた目をこすりながら青年は顔をあげ、陽介の姿を確認すると、犬のように飛び出して来てあっという間に陽介に抱きついた。
「ちょっ! やめろよ、あっちぃんだから?」
「えへへー お帰り、陽介」
 幸と呼ばれた青年はスラリと伸びた手足をからませ、自分よりもかなり小さいサイズの陽介を胸に抱え込んだまま甘い声を出す。
 節の大きい指、常に少し上がっている口角、そして幾重にも重ねられた漆塗りのような髪がその異常に整った顔立ちを際立たせ、妖艶さを醸し出していた。
 洋介には、シャツの上からでも分かる意外なほどの胸板の厚さと、それに似合わない腰の細さがいつもひどくいやらしく感じられた。
「幸! 離れろって! つーか、お前、ちゃんと妖気出してる?」
「ん? 何で?」
「やっぱり……忘れたの? 冷房代節約の為に満留から言われてただろ? 出勤してる時はお前の妖気でフロア冷やせって」
「ああー、アレ?」
 切れ長の瞳をさらに細くさせ、陽介の頭を顎でグリグリしながら幸が悪態をつく。 
「つーかさ、座敷童の妖気をクーラー代わりにするって発想、どうなの? あいつ、本当ケチだよなぁ。おまけにチビだし。チビはチビらしく暑いんだったらビニールプールにでも浸かってろって、なぁ?」
「……幸、後ろ」
「ん? 何……」
 
ガツッ!!

「○×△●!?」
 幸がスネを押さえてうずくまった。
「誰がケチでチビですって?」
 その姿を見下ろすように一人の少女が立っている。
 高級な絹のような長い髪と透けるような白い肌を持つ少女――満留だった。陽介の実姉でこの『坂上不動産』の代表取締役である満留は眉間に皺をよせ、幸をじろりと睨んだ。
 幼い頃から満留と陽介は実に対照的だった。何にでも興味を示し、その強い好奇心と行動力でいつも大人達を困らせていた姉・満留。一方、引っ込み思案で泣き虫、もっぱら女の子と一緒に遊んでいた弟・陽介。
 満留はそんな陽介の静かで優しい所が好きだったし、陽介は活発な姉を眩しく思い、憧れていた。
 高校生になった今も自慢の姉だ。
 そんな満留と幸は陽介の取り合いでしょっちゅう喧嘩をしていた。
「陽ちゃん、こんな座敷童に体を許しちゃだめでしょ!?」
「ばっ! 許してなんかないって!」
「ふーん、今、抱きつかれるの嫌がってなかったけど?」
 どう見ても小学校低学年にしか見えないその幼い容姿からは想像もつかないほどの威圧感。
「そ、それはだって……」
 いつの時代も姉に逆らえない弟とは悲しいものだ。陽介がオロオロとつい余計な事を口走った。
「だって、えと、幸の体、妖気で冷たくて気持ちいいから……」
「えっ、気持ちいいの!?」
 うずくまっていた幸が勢いよく立ち上がって食いついてくる。
「じゃ、お返しに俺も気持ちよくして?」
「は?」
「あの歌唄ってよ。俺、陽介の気持ちいい声聞いたらすげぇ妖気出ちゃうかも」
「はぁ? 何言ってんの? やだよ」
「ええー、じゃぁ……」
 陽介の顎を上に向けると幸がそっと目をつぶり、その唇を近づける。
「んー……」

ガゴガッ!!

 幸のスネに蹴りが二発、炸裂した。
「このエロ妖怪!」
 陽介と満留が同時にユニゾる。
「っ痛―……絶っ対、骨イった! 骨砕けたって!」
「あっそ、じゃ、桐に薬でも出してもらいなさい」
 一番奥の机で黙々とパソコンに向かっていた少年が、かけていたメガネの縁をあげ、スタスタと無表情で幸の側にやってきた。
「桐……」
 その少年、桐は印象的な赤い瞳を幸からそらさずにコクリと頷く。クセのない細い髪が揺れて微かに草の匂いがした。
「幸、これ……」
 少年と青年の間の響きを持った不思議な声でそう言って、小さな小瓶を差し出す。
 瓶の側面には〈かまいたちの薬・バカにも効くよ〉と書いてある。明らかに満留の文字だった。
「って、馬鹿はお前だ!!」
 幸が桐の頬をこれでもかというくらい左右に引っぱる。それでも無表情のまま、桐が少し首を傾げた。
「何? 桐、その哀れんだ目は?」
「……」
「だいたい桐はちーっとも妖気出してないくせに、何でなんも言われないわけ!?  出せよ! お前、立派なカマイタチだろっ」
「桐はいいのよ」
 ぴしゃりと満留が言う。
「何でっ?」
「仕事できるから」
 スパッと満留からの攻撃。
「うっ……俺だってちゃんと車とか運転してるし、物件案内できるし……」
「あんた、陽ちゃんが見てる前でしかしないでしょ?」
 攻撃二発目。
「ぐっ」
 桐が淡々としたリズムで震える幸の肩を叩いた。
「ぐぅう……」
 あえなく撃沈した幸を見て、満留が満足気な笑顔を見せる。
「で、陽ちゃん、今日急いで帰ってきてもらったのは、この件なんだけど……」
 パソコンの画面を陽介に向け、
「お客様は山崎竜生。秋に渋谷で店を出したいらしいの。で、今ウチが勧めてる物件が……」
 満留の指がキーボードの上を素早く動く。
 タンッという小気味よい音と共に出て来たデータは、
「ここ、SHIBUYA109」
「ええー、俺、あそこ苦手なんだよね……」
「そんな事言わないの。陽ちゃんが一番の適任者なんだから」
「え?」
「マルキューの4階ね、どういう訳か短期間で借り手が変わっていっちゃうんだって。それで渋谷一帯の不動産屋がどこも手出さなくなっちゃって、結構やっかいな事になってるのよね」
「それでウチに回ってきたってわけ?」
「ん?」
 わざとらしくぶりっこして首を傾げてみせた満留に陽介が突っかかる。
「ん? じゃ、ないよ! そんなとこ絶対何かいるじゃん!」
「つべこべ言わないの。はい、陽ちゃん、山崎様の担当ねー」
 陽介の目の前にドサリと分厚いバインダーと物件ナンバーの書かれたキーホルダーが付いた鍵の束が置かれる。
「ぶぶぅーっ…………あっ!」
 ぶーたれていた陽介の視線が奪われる。そしてバインダーからはみ出ていたSHIBUYA109のチラシに見入ってうっとりと呟いた。
「……この服、かわいいかも」
「陽介っ!」
 幸がはしゃいだ声を出す。
「その服、今度の俺とのデート用に買ってやるっ」
「はぁ?」
「陽介きっと似合うぞー。うんうん……」
 幸は鼻歌まじりにバインダーを脇に抱え、鍵を指先で起用に回しながらドアに向かった。
 座敷童・幸の好きなモノは二つあった。
 一つはもちろん『坂上陽介』。
 そしてもう一つはその『坂上陽介』が好きなモノ。
 幸は初めて会った日の陽介の瞳を忘れられない。
 幼い陽介は、自分の隣にちょこんと座る座敷童――幸を発見したその時、今まで誰にも見せた事がない表情で輝く美しい瞳を大きく見開き、そしてにっこりと笑った。
 それ以来、幸はその笑顔が見たくて、陽介が興味を示すモノすべてを手に入れてきた。
 だから、陽介が興味を持ったモノには幸も興味を持つし、陽介が好きなモノは幸も好きだった。
「ちょっと幸、あんた座敷童なんだから大人しくじっとウチ守ってなさいよ!」
 満留が幸を引き止める。
「うるっせーな、俺はココじゃなくて陽介に憑いてんだからいいのっ。陽介が守れればそれでいいの。なぁー? 陽介」
 くるりと体を回転させると、まだイスに座っていた陽介の脇から手を差し込み、がばっと持ち上げる。身長差のせいで陽介の足が宙に浮いた。
 幸は暴れる陽介の足に蹴られない様に腰を引き、満留にあっかんべーをする。

ゴツッ! 

 陽介の後頭部が幸の顎を打つ。
 舌を噛んだ幸は声にならない声を出し、陽介はそのままプイッとフロアを出て行ってしまった。
「ぐっじょぶ! 陽ちゃんっ」
「見事」
 桐がさらりと言ったのを聞いて幸は少しバツが悪そうに頭を掻いた。
 そして二人は同時にジャケットを翻すと陽介の後を追って渋谷に飛び出した。

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